
昨年からか? マニラ常泊の宿には、日本の学生が宿泊するようになりました。
日本のビジネスホテルでは、中国や韓国の学生の生態を、伺い知ることができますように、マニラでは日本の学生を通して、現在若者の生態を知ることができます。
朝9時、ベッドから抜け出て来た女学生は、レストランの席に着くなり、いきなり手を天井にのばし大あくびをしました。
「あぁ〜」
人前で恥ずかしさもなく口を開けて大あくびですか?
戦後60年、日本の可憐な女学生もずいぶんと変わったものです。
少しして同行の学生も現れました。
挨拶代わりに手を振ります。
まぁ〜 私としては「ひょっとして日本人?」と、気がついたのはこの辺りで、大あくびと身なりからは日本人とは気がつかなかったわけです。
日本のグローバル化(アメリカ化)は、日本の習慣の破壊や礼儀の変化となって現れ、外見からは日本人も、韓国人も、中国人も判らない。それが物心ついた若い年齢ほど顕著に現れています。
ウエーターが声を掛けます。

「おはようございます。」
これは正直私も驚いた出来事の一つでした。
このホテルのウエーターも、セキュリティーガードも、挨拶程度の日本語を駆使しているのです。
そこで初めて『大あくびの日本の女学生』は、我に帰ったようであります。
日本語の『おはようございます』に接して、学生同士に見せる自分でも、一人でいる自分でもない、公衆の面前にいる社会性を帯びた日本人に帰った様子です。
この女学生は『日本語』と言うスイッチで、寝起きの目覚めから飛躍して社会性の目覚を得たことになります。
「かっての日本は………」と比較してもどうしようもないことですが、社会性の目覚めは、寝起きの目覚めと時間的に差がなかった日本家庭。
なんせ狭い部屋に雑居生活をしていた、敗戦後の日本家庭であります。
自分も起きて布団をたたまなくては、寝室から食堂や居間へと変化遂げずに、家庭生活条件の確保とは繋がらないのです。
それが、小娘でも一室を与えられプライベートが確保されているという、環境に生をうけ、社会性の目覚めは階下の居間で、母や父との『おはよう』からはじまるという時差が生じて来ました。
もっと「進化」?したところでは『おはよう』の挨拶もなく、『母親?』本人はそう認識しているのかどうか不明ですが、食卓に座り出て来た朝食を済ませ出て行く。
かくして自分が社会の中に居るという『社会性の認識は、寝起きの目覚めとはドンドンと時差が生まれる』といったところでしょうか?
家族という社会性の一歩の中に社会性を感じない娘たち。
かと言うて母親を母親として敬うでもなく、出された食事へ感謝するわけでもなく、賄い付きの寄宿舎で食事をシステム的に食し外にでる。
母を他人として見るなら社会性はそこから始まろうものですが、どうも母や父は他人ではない様子。なんだか判らない血縁の家庭共同幻想がそこにあります。
日本の家族とは、かくも可笑し気な家族関係を作り上げたものだと、憶っています。
「いただきます」の言葉も無く、レストランで運ばれて来た食事に手が付けられます。日本の女学生の家庭の朝が観えた時であります。

革命社長のお店が閉まっています。
理由は私から説明することもなく、どなたかが書いてくれるでしょう。
同業者からの足の引っぱり?の所持品密告とか?
同業者の店が閉店しても、自分の店に客が来るわけじゃないのに!
馬鹿はねたみ・そねみで妨害だけは執拗にするものです。
再開を期待しましょう。
日本のビジネスホテルでは、中国や韓国の学生の生態を、伺い知ることができますように、マニラでは日本の学生を通して、現在若者の生態を知ることができます。
朝9時、ベッドから抜け出て来た女学生は、レストランの席に着くなり、いきなり手を天井にのばし大あくびをしました。
「あぁ〜」
人前で恥ずかしさもなく口を開けて大あくびですか?
戦後60年、日本の可憐な女学生もずいぶんと変わったものです。
少しして同行の学生も現れました。
挨拶代わりに手を振ります。
まぁ〜 私としては「ひょっとして日本人?」と、気がついたのはこの辺りで、大あくびと身なりからは日本人とは気がつかなかったわけです。
日本のグローバル化(アメリカ化)は、日本の習慣の破壊や礼儀の変化となって現れ、外見からは日本人も、韓国人も、中国人も判らない。それが物心ついた若い年齢ほど顕著に現れています。
ウエーターが声を掛けます。

「おはようございます。」
これは正直私も驚いた出来事の一つでした。
このホテルのウエーターも、セキュリティーガードも、挨拶程度の日本語を駆使しているのです。
そこで初めて『大あくびの日本の女学生』は、我に帰ったようであります。
日本語の『おはようございます』に接して、学生同士に見せる自分でも、一人でいる自分でもない、公衆の面前にいる社会性を帯びた日本人に帰った様子です。
この女学生は『日本語』と言うスイッチで、寝起きの目覚めから飛躍して社会性の目覚を得たことになります。
「かっての日本は………」と比較してもどうしようもないことですが、社会性の目覚めは、寝起きの目覚めと時間的に差がなかった日本家庭。
なんせ狭い部屋に雑居生活をしていた、敗戦後の日本家庭であります。
自分も起きて布団をたたまなくては、寝室から食堂や居間へと変化遂げずに、家庭生活条件の確保とは繋がらないのです。
それが、小娘でも一室を与えられプライベートが確保されているという、環境に生をうけ、社会性の目覚めは階下の居間で、母や父との『おはよう』からはじまるという時差が生じて来ました。
もっと「進化」?したところでは『おはよう』の挨拶もなく、『母親?』本人はそう認識しているのかどうか不明ですが、食卓に座り出て来た朝食を済ませ出て行く。
かくして自分が社会の中に居るという『社会性の認識は、寝起きの目覚めとはドンドンと時差が生まれる』といったところでしょうか?
家族という社会性の一歩の中に社会性を感じない娘たち。
かと言うて母親を母親として敬うでもなく、出された食事へ感謝するわけでもなく、賄い付きの寄宿舎で食事をシステム的に食し外にでる。
母を他人として見るなら社会性はそこから始まろうものですが、どうも母や父は他人ではない様子。なんだか判らない血縁の家庭共同幻想がそこにあります。
日本の家族とは、かくも可笑し気な家族関係を作り上げたものだと、憶っています。
「いただきます」の言葉も無く、レストランで運ばれて来た食事に手が付けられます。日本の女学生の家庭の朝が観えた時であります。

革命社長のお店が閉まっています。
理由は私から説明することもなく、どなたかが書いてくれるでしょう。
同業者からの足の引っぱり?の所持品密告とか?
同業者の店が閉店しても、自分の店に客が来るわけじゃないのに!
馬鹿はねたみ・そねみで妨害だけは執拗にするものです。
再開を期待しましょう。
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