
『母と息子』の母子家庭。周囲からすれば溺愛や甘えでも、本人達はそう思っていません。それが彼女たちの極普通の親子関係なのです。
女はフィリピン人。息子を母国フィリピンの母親にあずけ、日本に出稼ぎにやって来ました。
そんな彼女の前に、一人の男が客として現れます。
二人は恋?し愛が芽生えた。そして結婚。しかし、子供がいることを男へ告げることは無かったと言います。
実際のところは判りません。
その女性の美貌?と妖婉さ?に惑わされ、話もほとんど耳にしていなかったのかも知れません。言い出す機会を逸した言葉の次のきっかけは、前回よりもハードルは高いものです。
まぁ〜 実際にそれほど魅力的なフィリピン女性と知り合えたなら何よりです。
そんな話があったのか?無かったのか?は、たいした問題ではないわけです。それより女性と懇ろになって、裸で向かい合うほどの関係を経ても、経産婦の判断を狂わすほど、言うが侭の夢中になっていた。と仮定することにしましょう。

フィリピン人女性に限らず異国の地に働きに出るのには、大きな飛躍と決意が必要なことでしょう。
日本には「タレント」などと呼ばれ、歌手やダンサーの興行者として来日していました。
日本での仕事は「歌手」や「踊り子」の芸をするお仕事で、多少の「資格外就労」酌婦の仕事と理解していたのかもしれませんね。
韓国や香港その他のアジア圏でも、フィリピン人女性は興行者やメイドという仕事に着いています。韓国では飲み屋にVIPルームでの性的サービスを求められることがあります。
もちろん嫌なら断ることも出来ます。売春条件で他国に働きにきたわけではないのですから、性的サービスの拒否はできるわけです。
余程、歌や踊りが上手でも客からのチップ額は、売春をする同僚と雲泥の差。メイドでも、家事+夜のお相手が暗黙の了解。お断りすれば難癖つけて契約解除と帰国が待っています。
日本ではどうかと言うと、4〜6人のタコ部屋を出て、科されたノルマとペナルティーをこなし免れるため『同伴』で××、そのまま男と店に出勤します。
常識的に世界の酌婦の仕事は売春です。それがダイレクトかオブラートに包まれているかだけです。日本では売春禁止法以降「美人局接客」のオブラート型だと言う人も居ます。
彼女たちは、体を張っても経済的収入を確保する目的で日本にやって来ました。そしてその決意で働く彼女の前に、一人の男が客として現れました。
他の客同様この男も女性と仲良くなろうと、食事に誘ったり、貢ぎ物をしたり「結婚しよう」などと、モノ・カネで攻勢をかけます。
以前書いた通り、『女性の経済的自立』を抜きにした結婚とは、性を含む家事と経済的保証の交換契約ですから、売春とそう大差はありません。
結婚して日本国籍を得て公然就労できることも、一人の男と暮らすことで占有化され、家庭に入ることで受け取れなくなった分に見合う『フィリピンの家族への送金』も、同じことです。
そして彼女の関わりは別として、時を経てフィリピンからは経済的困窮の連絡と借財のむしんが届きます。
「お母さんが病気でお金に困っている。」
「兄弟が学費が払えないで、修業を継続できない。」
「親戚が大けがをしたがお金がない。手術しないと死んでしまう」
私は、このような話のすべてが嘘と作り話とは思ってはいないのです。
端緒は、切迫した状況から始まったと思っています。また、自分でなくとも誰かが同じ経験をしたことで、亭主や彼が工面してくることを知っています。一度経験したことは『お金で困ったときの対処法』として記憶されて行きます。
お金に困ったときには、子供でもウソをつくものです。
「お母さん!学校で使っている絵の具がなくなっちゃった。買うからお金ちょうだい!」日本での光景です。
「俺にはもう金が無い」と言えばいいことです。
「あなた私の家族を愛してないのね」と言われようが「薄情」と言われようが「できない」と言えばいいことです。
ところがそのことは、自分自身が口にして来た「俺は月収100万円だ」の話も「財産が1億円ある」の話も嘘であったことを証明することになります。
男としての虚構のメッキの剥げる瞬間です。
「へへ!嘘だピョ〜ン」と言って、別れを告げるもよし、ブランドものの空財布を、新聞紙で膨らましていたトリックを曝すでもよし、まぁ〜心穏やかなことではないでしょう。文章ほどには簡単なことではないでしょうが、金の切れ目が縁の切れ目と、離別を覚悟すればすむことです。
それが最後の最後まで、高利の借金までして金を工面する人もいるものです。背景は見栄。そして『してやってる』と思うことで人間性を取り戻していると思う『ボク良い人シンドローム』『ボク頼りにされてるよシンドローム』
そのぐらい社会生活から乖離したとこに、自分が居るということを認めたくないがための、「ありがとう」を言われるための感謝誘発的自己納得行動。
嘘と『良い振りコキ』から始まった自分の仮象は、実像をあからさまにしてしまうか? それともそのまま虚構を続けるかしか、選択肢がありませんでした。本当の自分を曝すことは『自分としても本当の自分を観ること』
男にとっては、最大級の屈辱と嫌なことだったのでありましょう。

その虚構を保つことでかろうじて、自分の立脚点があった。日本の社会生活と遊離した自分にとって、そこにしか日本人としても注目を浴びる場所がなかったわけです。
普段の社会生活の中での自分自身からかけ離れて、夜、闇の中にネオン輝くフィリピンパブのドアを開けた時に、はじめて社会的に通用する自分が現れます。
普段の社会生活の中に自分の存在はなく、フィリピンパブと『フィリピン』キーワードの世界にしか、自分の存在が確認できない人も居るものです。もちろんアジアンモモンガみたいな多国籍で同様な吾人も居ます。特徴はその人が見下した国や人種の中でしか、自分の存在を見いだせないことです。
金策に詰まった男に、二人の間に生まれた子供さえが「パパのケチ」と吹き込まれ投げ台詞。フィリピン人の母親同盟軍に参加します。子供はえてして母軍の指揮下に入るものです。生んで守ってくれた最も近い信頼のおける指揮官です。
蓄財も底が見え日本に居づらくなって、男は考えます。掻き集めれるだけの金を手にして「フィリピンに移り住もうか」と。
幼子故に『日本がいい』の反乱にあうことも無く、彼女の故郷やマニラ、セブ等大都市に『嫁の名義』で土地を購入し家を建てます。
そんなわけで彼女の日本に来た動機や決意から、それ以降の経済的むしんと男の経て来た経過に触れました。
移住したフィリピンでは、別なフィリピン人との間に生まれた男の子が居ることを知らされます。
これは隠されていない場合でも、既に『連れ子が居る』と知って居ても同じことです。そして母と子の関係が『溺愛』でなくても同じことなのです。ようは彼女の連れ子が男の子だということが、重要な要素なのです。
彼と会う以前から、彼女と息子は同じ血肉分けた親子です。
在る意味では、『この子を守り育てるために他国へ働きに行った』とも言えます。
胎児がお腹に居るときから、外国に働きに出る日まで一緒に暮らし、自分の食べ物を減らしてまでも子に与え育てて来た。母には、その子の中に自分と『自分に最も似た、将来の賢くて強く優しい男』が観えていたことでしょう。
新しい男である日本人と結婚してもなお、自分の息子を『兄弟』として伝えたり、『姉さんの子供』ということになっている場合もあるものです。
現地の夫が、『兄妹』という触れ込みの場合もあるものです。
いずれにしても連れ子が居ることを知った時から、夫たる日本人は家族の絆や親子関係を深めることに努力するでしょう。
男として逞しく強く賢く、考え方や生き方を、自分流の男教育が始まります。それが本当の父親へ近づくことと信じて、叱り諭すこともあるわけです。
しかし残念ながら母親には、夫流の男教育は『今いる息子の至らなさであり、問題視である』と映り、自分や自分の家族へむけられた指摘と聞こえて来ます。子供への批判や意見は、自分への批判であり至らなさの意見なのです。
これはフィリピンに限らず日本でも同じな訳です。
女の連れ子を自分の息子と思えばこそ、自分流の男像に近づける関わりを強めます。
女の心の中では家族であっても、夫は他人。息子や親兄妹は血の通った肉親です。
女や親が余程人間的に出来ていないと、そして男自信も人間的に成長していないと、真剣に躾けようとすればするほど、夫婦の間に風が吹き、冷たい家族関係が生まれて行きます。
いつの日か、夫たる男の息子や親への指摘はタブーとなり、家庭の中で触れてはいけない話題と領域が生まれます。

恋人の連れ子を結婚するまえに、関係も深めておこうと模擬父親行動をとっても同じことがおこります。結婚どころか彼女と別れるケースもあります。
それほど連れ子をめぐる、新しい父親と家族の関わりは難しいものです。
当たり前のことですが連れ子にとっても、この母の新しい男は『血族』でもなければ『父』でもないわけで、単なる財産の所有権や分与相続の金銭的つながりを約束した『公証人のつくった書類上の関係』でしか存在していません。
連れ子が女の子だとこちらの方は、可愛く賢くなつっこければ、新しい父親は目に入れても痛くないくらいの関係も築けるものです。見ただけも嫌いなら、相手にしないだけのことでしょう。いつか別の男のもとへ行く。その程度の関わりです。
男同士の義理の息子と亭主。嫁の母国で親族に囲まれながら家庭の『家長』としての自分の位置を確認し始めます。
同じオスとして対峙する。なにか動物的なものも作用しているのかも知れませんね。
義理の息子が反目していく時、『家長』としての男はその原因が『女や女の親族が、自分の存在を軽視しいているところにある』と考えました。
「何故軽視されたのか?」
それにしても何故女の母国へ移住することを決めるに至ったのか?
その女を自分が選んだのか?の疑問は残ります。
まぁ〜冷静に考えていたら、結婚なんか出来ないものです。
ノリと言うか?弾みと言うか?そんな勢いが無いと結婚は存在しないということでしょうか?
女系色の強いフィリピンで、女の親族の中で『亭主』だけは他国の他民族の他人であって、『お金持ちの日本人』の後光が薄らいで来るまでに、カネに換わる信頼や尊敬に値するものや関係が築かれなければならないのでしょう。
「何も嫁の国に行ってまで、親族に囲まれながら暮らすことはない」という声もあります。
まぁ〜 過去は過去として、定職もない日本人男性でも鬱陶しくなく居てくれて、気軽に水運びや家事を手伝うのなら、飯と寝場所ぐらい与えてくれますって………。
そこで『威張』ったり「別に女をつくってみなさいよ」
『カネの御威光も消えた』『言葉も幼児程度しかできない』の外国人が、女を便利な『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』として勝手に考えていても、自分勝手な妄想と現実のひずみが生まれるものです。
海外移住生活を夢見ていても、それが女の母国や親戚に囲まれたところである必要はないわけです。フィリピンでなくても海に囲まれた奇麗な南国の島は、ほかにたくさんあります。
『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』を女に求めたあたりに、『自分とは何か?』を気づかれるのもいい機会ではないでしょうか?
「フィリピンは………」いいえ日本でも同じですよ!

女はフィリピン人。息子を母国フィリピンの母親にあずけ、日本に出稼ぎにやって来ました。
そんな彼女の前に、一人の男が客として現れます。
二人は恋?し愛が芽生えた。そして結婚。しかし、子供がいることを男へ告げることは無かったと言います。
実際のところは判りません。
その女性の美貌?と妖婉さ?に惑わされ、話もほとんど耳にしていなかったのかも知れません。言い出す機会を逸した言葉の次のきっかけは、前回よりもハードルは高いものです。
まぁ〜 実際にそれほど魅力的なフィリピン女性と知り合えたなら何よりです。
そんな話があったのか?無かったのか?は、たいした問題ではないわけです。それより女性と懇ろになって、裸で向かい合うほどの関係を経ても、経産婦の判断を狂わすほど、言うが侭の夢中になっていた。と仮定することにしましょう。

フィリピン人女性に限らず異国の地に働きに出るのには、大きな飛躍と決意が必要なことでしょう。
日本には「タレント」などと呼ばれ、歌手やダンサーの興行者として来日していました。
日本での仕事は「歌手」や「踊り子」の芸をするお仕事で、多少の「資格外就労」酌婦の仕事と理解していたのかもしれませんね。
韓国や香港その他のアジア圏でも、フィリピン人女性は興行者やメイドという仕事に着いています。韓国では飲み屋にVIPルームでの性的サービスを求められることがあります。
もちろん嫌なら断ることも出来ます。売春条件で他国に働きにきたわけではないのですから、性的サービスの拒否はできるわけです。
余程、歌や踊りが上手でも客からのチップ額は、売春をする同僚と雲泥の差。メイドでも、家事+夜のお相手が暗黙の了解。お断りすれば難癖つけて契約解除と帰国が待っています。
日本ではどうかと言うと、4〜6人のタコ部屋を出て、科されたノルマとペナルティーをこなし免れるため『同伴』で××、そのまま男と店に出勤します。
常識的に世界の酌婦の仕事は売春です。それがダイレクトかオブラートに包まれているかだけです。日本では売春禁止法以降「美人局接客」のオブラート型だと言う人も居ます。
彼女たちは、体を張っても経済的収入を確保する目的で日本にやって来ました。そしてその決意で働く彼女の前に、一人の男が客として現れました。
他の客同様この男も女性と仲良くなろうと、食事に誘ったり、貢ぎ物をしたり「結婚しよう」などと、モノ・カネで攻勢をかけます。
以前書いた通り、『女性の経済的自立』を抜きにした結婚とは、性を含む家事と経済的保証の交換契約ですから、売春とそう大差はありません。
結婚して日本国籍を得て公然就労できることも、一人の男と暮らすことで占有化され、家庭に入ることで受け取れなくなった分に見合う『フィリピンの家族への送金』も、同じことです。
そして彼女の関わりは別として、時を経てフィリピンからは経済的困窮の連絡と借財のむしんが届きます。
「お母さんが病気でお金に困っている。」
「兄弟が学費が払えないで、修業を継続できない。」
「親戚が大けがをしたがお金がない。手術しないと死んでしまう」
私は、このような話のすべてが嘘と作り話とは思ってはいないのです。
端緒は、切迫した状況から始まったと思っています。また、自分でなくとも誰かが同じ経験をしたことで、亭主や彼が工面してくることを知っています。一度経験したことは『お金で困ったときの対処法』として記憶されて行きます。
お金に困ったときには、子供でもウソをつくものです。
「お母さん!学校で使っている絵の具がなくなっちゃった。買うからお金ちょうだい!」日本での光景です。
「俺にはもう金が無い」と言えばいいことです。
「あなた私の家族を愛してないのね」と言われようが「薄情」と言われようが「できない」と言えばいいことです。
ところがそのことは、自分自身が口にして来た「俺は月収100万円だ」の話も「財産が1億円ある」の話も嘘であったことを証明することになります。
男としての虚構のメッキの剥げる瞬間です。
「へへ!嘘だピョ〜ン」と言って、別れを告げるもよし、ブランドものの空財布を、新聞紙で膨らましていたトリックを曝すでもよし、まぁ〜心穏やかなことではないでしょう。文章ほどには簡単なことではないでしょうが、金の切れ目が縁の切れ目と、離別を覚悟すればすむことです。
それが最後の最後まで、高利の借金までして金を工面する人もいるものです。背景は見栄。そして『してやってる』と思うことで人間性を取り戻していると思う『ボク良い人シンドローム』『ボク頼りにされてるよシンドローム』
そのぐらい社会生活から乖離したとこに、自分が居るということを認めたくないがための、「ありがとう」を言われるための感謝誘発的自己納得行動。
嘘と『良い振りコキ』から始まった自分の仮象は、実像をあからさまにしてしまうか? それともそのまま虚構を続けるかしか、選択肢がありませんでした。本当の自分を曝すことは『自分としても本当の自分を観ること』
男にとっては、最大級の屈辱と嫌なことだったのでありましょう。

その虚構を保つことでかろうじて、自分の立脚点があった。日本の社会生活と遊離した自分にとって、そこにしか日本人としても注目を浴びる場所がなかったわけです。
普段の社会生活の中での自分自身からかけ離れて、夜、闇の中にネオン輝くフィリピンパブのドアを開けた時に、はじめて社会的に通用する自分が現れます。
普段の社会生活の中に自分の存在はなく、フィリピンパブと『フィリピン』キーワードの世界にしか、自分の存在が確認できない人も居るものです。もちろんアジアンモモンガみたいな多国籍で同様な吾人も居ます。特徴はその人が見下した国や人種の中でしか、自分の存在を見いだせないことです。
金策に詰まった男に、二人の間に生まれた子供さえが「パパのケチ」と吹き込まれ投げ台詞。フィリピン人の母親同盟軍に参加します。子供はえてして母軍の指揮下に入るものです。生んで守ってくれた最も近い信頼のおける指揮官です。
蓄財も底が見え日本に居づらくなって、男は考えます。掻き集めれるだけの金を手にして「フィリピンに移り住もうか」と。
幼子故に『日本がいい』の反乱にあうことも無く、彼女の故郷やマニラ、セブ等大都市に『嫁の名義』で土地を購入し家を建てます。
そんなわけで彼女の日本に来た動機や決意から、それ以降の経済的むしんと男の経て来た経過に触れました。
移住したフィリピンでは、別なフィリピン人との間に生まれた男の子が居ることを知らされます。
これは隠されていない場合でも、既に『連れ子が居る』と知って居ても同じことです。そして母と子の関係が『溺愛』でなくても同じことなのです。ようは彼女の連れ子が男の子だということが、重要な要素なのです。
彼と会う以前から、彼女と息子は同じ血肉分けた親子です。
在る意味では、『この子を守り育てるために他国へ働きに行った』とも言えます。
胎児がお腹に居るときから、外国に働きに出る日まで一緒に暮らし、自分の食べ物を減らしてまでも子に与え育てて来た。母には、その子の中に自分と『自分に最も似た、将来の賢くて強く優しい男』が観えていたことでしょう。
新しい男である日本人と結婚してもなお、自分の息子を『兄弟』として伝えたり、『姉さんの子供』ということになっている場合もあるものです。
現地の夫が、『兄妹』という触れ込みの場合もあるものです。
いずれにしても連れ子が居ることを知った時から、夫たる日本人は家族の絆や親子関係を深めることに努力するでしょう。
男として逞しく強く賢く、考え方や生き方を、自分流の男教育が始まります。それが本当の父親へ近づくことと信じて、叱り諭すこともあるわけです。
しかし残念ながら母親には、夫流の男教育は『今いる息子の至らなさであり、問題視である』と映り、自分や自分の家族へむけられた指摘と聞こえて来ます。子供への批判や意見は、自分への批判であり至らなさの意見なのです。
これはフィリピンに限らず日本でも同じな訳です。
女の連れ子を自分の息子と思えばこそ、自分流の男像に近づける関わりを強めます。
女の心の中では家族であっても、夫は他人。息子や親兄妹は血の通った肉親です。
女や親が余程人間的に出来ていないと、そして男自信も人間的に成長していないと、真剣に躾けようとすればするほど、夫婦の間に風が吹き、冷たい家族関係が生まれて行きます。
いつの日か、夫たる男の息子や親への指摘はタブーとなり、家庭の中で触れてはいけない話題と領域が生まれます。

恋人の連れ子を結婚するまえに、関係も深めておこうと模擬父親行動をとっても同じことがおこります。結婚どころか彼女と別れるケースもあります。
それほど連れ子をめぐる、新しい父親と家族の関わりは難しいものです。
当たり前のことですが連れ子にとっても、この母の新しい男は『血族』でもなければ『父』でもないわけで、単なる財産の所有権や分与相続の金銭的つながりを約束した『公証人のつくった書類上の関係』でしか存在していません。
連れ子が女の子だとこちらの方は、可愛く賢くなつっこければ、新しい父親は目に入れても痛くないくらいの関係も築けるものです。見ただけも嫌いなら、相手にしないだけのことでしょう。いつか別の男のもとへ行く。その程度の関わりです。
男同士の義理の息子と亭主。嫁の母国で親族に囲まれながら家庭の『家長』としての自分の位置を確認し始めます。
同じオスとして対峙する。なにか動物的なものも作用しているのかも知れませんね。
義理の息子が反目していく時、『家長』としての男はその原因が『女や女の親族が、自分の存在を軽視しいているところにある』と考えました。
「何故軽視されたのか?」
それにしても何故女の母国へ移住することを決めるに至ったのか?
その女を自分が選んだのか?の疑問は残ります。
まぁ〜冷静に考えていたら、結婚なんか出来ないものです。
ノリと言うか?弾みと言うか?そんな勢いが無いと結婚は存在しないということでしょうか?
女系色の強いフィリピンで、女の親族の中で『亭主』だけは他国の他民族の他人であって、『お金持ちの日本人』の後光が薄らいで来るまでに、カネに換わる信頼や尊敬に値するものや関係が築かれなければならないのでしょう。
「何も嫁の国に行ってまで、親族に囲まれながら暮らすことはない」という声もあります。
まぁ〜 過去は過去として、定職もない日本人男性でも鬱陶しくなく居てくれて、気軽に水運びや家事を手伝うのなら、飯と寝場所ぐらい与えてくれますって………。
そこで『威張』ったり「別に女をつくってみなさいよ」
『カネの御威光も消えた』『言葉も幼児程度しかできない』の外国人が、女を便利な『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』として勝手に考えていても、自分勝手な妄想と現実のひずみが生まれるものです。
海外移住生活を夢見ていても、それが女の母国や親戚に囲まれたところである必要はないわけです。フィリピンでなくても海に囲まれた奇麗な南国の島は、ほかにたくさんあります。
『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』を女に求めたあたりに、『自分とは何か?』を気づかれるのもいい機会ではないでしょうか?
「フィリピンは………」いいえ日本でも同じですよ!

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