マニラ娘純情。Manila Photo Virgin. "好きですマニラ manila love..." White edition

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今月の徘徊テーマは、パサイ市LEVERIZAストリート沿いの、建造物に観る居住者の民族分布状態。

実際に居住している民族にまで捉え返しが出来るかどうか? は解りませんが、建造物が出来た当時の建造物に与えた風習が、中国、スペイン………どの民族のものによるものかで、建造物の年数も観えてきます。

日米のマニラ市街戦。艦砲射撃で石造りの建造物は破壊され、木造建造物も消失していますが、マニラ市と距離を隔てれば、まだまだその当時以前の建物も見ることが出来ます。



「中華飯店が在るのを知っていますか?」という知人の話から、数年ぶりにその通りを歩きました。

いや、本当は、通りの奥まったところにある、この中華飯店に訪れることも兼ねて、その先にある肉屋の販売肉状態を確認することも兼ねて………のハロハロな徘徊です。




以前はよく通った道。大通りの交通規制の関係で、突き抜けることが出来なくなってからは、三丁先から奥へは行っていなかったのです。

自分の印象としては『韓流民族が多く居住し、韓流料飲店多きところ』だったのですが………こうして歩いていると、中国人が多いんですね。

あらためて見ると、中華寺院、中国系スクール、地域センター。
中国に関連する施設が多数在ることに気がつきます。

ゆえに、客観的需要として中華料理店がそこにあり、その価格も一品もののそれなりの料理と価格ともに、65ペソからの定食も存在します。


 

話を元に戻せば、フィリピンの建造物には、中国建築様式とスペイン建築様式のハロハロなものが多く見られます。

フィリピンへ中国の影響の多かったところに、スペインが侵攻して、建築物がスペイン様式に変わって行くのですが、キアポからサン・セバスチャン教会に至る道沿いに多く残っているように、二階部分には中国の影響を強く受けているものがあるのです。

その端的なものは、窓。「障子」やガラスでの採光物。
正確には「障子」というのではないのでして、貝殻を薄くして採光できるようにしたものを填めてあるのです。

その貝殻の「障子風」のものと、歪んだ手作り板ガラス、歪みの無い工業生産物のガラス、そしてガラスなど遮蔽物の無い横に斜めに木製のさんで、雨の流入を止めながら通気と採光を兼ねたものなど、そのフィリピン建造物の建設当時が観えてくるのです。

しかし、経年劣化での一部改修や経済的理由などということもありますしね。

そういうのは、建造物全体や使用目的から推量るしか無いですよね。



そんな徘徊を楽しんで居ると、二階から「貴男日本人か?」と、若い娘の声が飛んで来ました。



















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イントラムロス。マニラ大聖堂からサン・アグスチン教会に至る道に、第二次世界大戦のフィリピン人を巻込んだ、マニラ市街戦の慰霊の像があります。

母や家族の前でアメリカのスパイとして疑をかけられて、逮捕連行。
後ろ手、目隠しで、建物の窓に立たされて、旧日本軍に人間の楯とされたそうです。
今もアメリカの艦砲射撃の痕跡を残すイントラムロス。怒りや悲しみがイントラムロスには溢れているのです。


その悲しみや怒りの鎮魂の像。

その近くに、この辺りでは珍しく物乞いの人々が目につきました。

物価高騰による生活難。

ガイドを申出る者。セフティーガードを申し出る者。
ただ手を出して物乞いする人々に混ざって、そんな名目で物乞をする人たちも居ました。観光エリアでは「ガイド」「セフティーガード」名目は、材料も設備も要らない、口先稼業の名目の商売。

ただ手を差出す物乞に一つ加えただけの………乳飲み子を借りて来て抱いて演出した物乞と同じようなものでしょうか?


哀れみをかって物乞うのと違う点は「あなたのために、やってやる」という烏滸がましさと、厚かましさが付け加えられている点です。

「他人のためにやってやっている。」そう思うことで、物乞である自らを忘れさせる点です。

 信念あるセットアップ犯罪者集団というのもありますがね。 
 犯罪者にも「道理(言い訳:建て前)」があることは日本のことわざにもありますよね。



日本人旅行者を狙うこの手合いの特徴は、名目「セフティーガード」と『ポンビキ』がセットになっているという点。「あなたを守ってあげる」と「女要らないか」が、ワンセットになっていることです。





























イントラムロス、サンチャゴ要塞有料入場料エリアゲートの前の脇道。
ホテルが出来ていました。

ホテルは以前からもこの辺にもあるのですが………無かった新たな建物があるということで、道に迷ったのです。


「こんな建物無かったな~」


なのですが………それを良いことに、迷いついでに気になるエリアに。
サンチャゴ要塞前のリサールが収容脱走した牢獄の裏側に当たるんですかね? 警備員が制止するまでつかつかと入り込んで撮影。

「サンチャゴ要塞まで行こうとしている」と伝えると、「戻ってあの門を曲がれ」とのこと。


『こんなホテルは無かったよな?』


なのですが、壁の隙間に堕ちた種が発芽して石積の壁と同化して根を張った樹を見つけたのです。

この樹には記憶がありまして、その時は、盛岡の地方裁判所の岩の狭い裂け目から育った、樹齢360年を超える、あの石割桜を思い浮かべていたのです。

そのモルタルで化粧され白く塗られた石壁と樹が、かろうじて残されていた角から、ホテル建築がされていたので、その場所を再確認できたのです。



サンチャゴ要塞前の広いお庭に入る門の前には、屋台やスペイン当時の衣装を着た警察官や警備員、客を待つカレッサが居て、ほど良い広さの空間だったんですがね。

新しい小奇麗な、土産物店やホテルが出来ていて、欧米からのツアー観光者の集団が居ました。

マニラ観光の要所、イントラムロス。

サンチャゴ要塞からマニラ大聖堂、サン・アグスチン教会、リバティー記念碑横の門に至る道は、ルソン島北部のビガン歴史都市を僅かなりとも感じさせてくれるところですからね。

石畳や建築物から、スペイン統治当時を彷彿とさせるものがあるわけです。



私はというと、このエリアに足を踏み入れると、第二次世界大戦末期の、旧日本海軍マニラ守備隊とアメリカ軍の攻防の、マニラ市街戦の鎮魂の想いに立ちます。

アメリカ軍の艦砲射撃で破壊されたままの建造物。
その建物の窓際に、日本軍によって囚われ、手や身体を縛られたフィリピン人を、人間の楯とした記録があります。

サンチャゴ要塞からのイントラムロスの道は、鎮魂と平和の祈りの道でもあります。


戦後も遥か………。平和への祈りと生命力の強さを、この樹に観るのです。














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