
「いとこ(従姉妹)が田舎に帰るって………」
「そうか」
「お店が閉まったままで、お金が無いから部屋代も払えないですって」
「そう?」
「………お金なんとかなる?」
「成らないよ!今直ぐったって日本に居るし………何もしない奴に金は出さないよ。」
「………愛人なら、どうかですって?」
「愛人て………、一緒のベッドに入ることだろ?」
「3人でベッドに入るってことか?」
「………貴方、私を愛してるでしょ?」

「フィリピーナは………」と言ったって、サンダル履きに
緩い格好。体系だってズルズルになります。
産経後は腹帯をしませんからね。
お相撲さんみたいに下垂した腹を軸に、外股すり足まかり通るです。
眠りで朦朧とした時刻での電話。
「五月蝿い!切るぞ!」で済む話に、フィリピン風俗嬢心理観察変態プレイ愛好者的趣味が、生理的に反応したのか?電話に対応していた。
言いたいことや頼み事があれば『電話番号を聞き出して』自分でかけてくれば良さそうなのだが、「金を貸してほしい」の一言さえ、知人を介在させて軽い気持で面倒なことを陰から糸を引く。
頼まれた本人も『はっきり断ったり、嫌なことは嫌と言えば良やそう』なのだが、普段から衣服や金を貸し借りしてる間となると、「私」と「私たち」の領域が曖昧化して、こちらで区切りをつけてやらないと「私たち内部」の力関係や依存関係に程度の差によっては「私のもの」と「私たちのもの」との境界線がずれて来て、いつの間にか生活共同体=ファミリーの何とも曖昧な概念が一人歩きをはじめてしまうのだ。
そしてあるときボーディングハウスで共同生活をする従姉妹たちにとっては、突然経済的支援者たる男さえもが『共有物』の定義下に置かれることに成るのか?
しかし考えればルームメイトが一名減ることが、部屋代・電気代の支払い負担増加になるのだから、確かに共通利害とも言えないこともなく、名実共に男(経済的支援者)の所有をめぐっても、生活共同体=ファミリーなのかもしれない。
かくして、いつのまにか複数の娘たちと後ろから前から、上から下へのベッドインを体験した吾人も居ることであろう? 自分の意志を貫くために、周囲を巻込(利用)絵を描く人は、老弱男女国籍に関係なくどこにでも居るものだ。

フィリピンに毎月行くなら「ホテルを使うより、9000ペソの安アパートを借りた方が、どうせ女を囲うなら経済的だ」と言う人が居た。
実際にそんなことをマニラで行えば、日本に帰国して行ったときには、田舎から働きにきた『親戚娘の寄宿舎』と変貌していることだろう?
それを「ハーレム」と呼ぶのはその人の勝手であるが、私としては現実的にも経済的にもややこしい事態が発生することが、既に観えている話に同調するわけにはいかないのである。
「出て行け」とか「出て行かさないと経済的支援を打ち切る」と言えばいいだろう?の対処法はあるとおもうが、不必要に遺恨を発生させることもなく、予想される煩わしさには最初から『NO!』で望めばいいことでは無いか。
不愉快を招来してまで『ひとつ屋根の下』を手に入れるよりは、ひとつホテルのベッドで出会った娘たちと逢う方が、少々費用が嵩んだとしても精神的にも危険回避的にも由なのである。
「だからフィリピーナは、どうしようもないんだ。」ですか?
そうそう友人が、美形のフィリピン人女性とスポンサーと連れ立ってる場面に、日本国内で遭遇したそうである。
男性は彼女を「アサワ」と呼び「退職したら買った私のラグナの家で生活する」んだと、話していたそうである。
男性がトイレに立った合間に、フィリピン人女性に「彼と結婚しているのか?」と聞いたところ「いいえ」なのである。
『私のラグナの家』も、きっと『彼が出した金で買った彼女の家』というのが正しいのだろう? 誰の家かは、登記者が誰かを見れば判ることである。
こんな日本国内での当然の常識や「語句の定義」が、「分別在る年齢の男性」からも出て来ないのである。
そして、この吾人のもつカッコ付き「フィリピン的常識」が、とんでもない事態を招くこともあるものである。
もっともフィリピンでも結婚していない同士は「アサワ」でもなく、登記名義人でもない人が、その家の所有者であるはずも無いのであるが、何故か日本社会でも、自由主義社会でも通用しない、特別な日本男性の考える「フィリピンとの国際法規と常識」が存在するようである。

○100発120中の最終兵器の話は、動画を整理してまた後日。ごめんね。
○4月から75歳になっても年金から保険料のが多額にとられる『後期高齢者医療制度』が始まります。年金がない人も当然納めないといけないわけです。
この制度あまり皆知らないのです。小泉政権に衆議院議員議席300献上してから、「あれよあれよ」と強行採決した自民・公明政権のお土産です。
国保滞納者には、医療費全額負担。老人が死んでいきます。
道路特定財源の維持を訴える全国知事会。
造った道路で救急車も走るのでしょうが、「医療費が払えずに死んでいった老人たちが霊柩車で運ばれる」というのでは、笑い話にもならないでしょう。
現状の予算から真剣に無駄をなくさないで、何が増税だ!です。
年金さえ払っていれば老後は安心と思っていたら、後だしで制度が役人の数を増やして悪くなっていきます。

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「そうか」
「お店が閉まったままで、お金が無いから部屋代も払えないですって」
「そう?」
「………お金なんとかなる?」
「成らないよ!今直ぐったって日本に居るし………何もしない奴に金は出さないよ。」
「………愛人なら、どうかですって?」
「愛人て………、一緒のベッドに入ることだろ?」
「3人でベッドに入るってことか?」
「………貴方、私を愛してるでしょ?」

「フィリピーナは………」と言ったって、サンダル履きに
緩い格好。体系だってズルズルになります。
産経後は腹帯をしませんからね。
お相撲さんみたいに下垂した腹を軸に、外股すり足まかり通るです。
眠りで朦朧とした時刻での電話。
「五月蝿い!切るぞ!」で済む話に、フィリピン風俗嬢心理観察変態プレイ愛好者的趣味が、生理的に反応したのか?電話に対応していた。
言いたいことや頼み事があれば『電話番号を聞き出して』自分でかけてくれば良さそうなのだが、「金を貸してほしい」の一言さえ、知人を介在させて軽い気持で面倒なことを陰から糸を引く。
頼まれた本人も『はっきり断ったり、嫌なことは嫌と言えば良やそう』なのだが、普段から衣服や金を貸し借りしてる間となると、「私」と「私たち」の領域が曖昧化して、こちらで区切りをつけてやらないと「私たち内部」の力関係や依存関係に程度の差によっては「私のもの」と「私たちのもの」との境界線がずれて来て、いつの間にか生活共同体=ファミリーの何とも曖昧な概念が一人歩きをはじめてしまうのだ。
そしてあるときボーディングハウスで共同生活をする従姉妹たちにとっては、突然経済的支援者たる男さえもが『共有物』の定義下に置かれることに成るのか?
しかし考えればルームメイトが一名減ることが、部屋代・電気代の支払い負担増加になるのだから、確かに共通利害とも言えないこともなく、名実共に男(経済的支援者)の所有をめぐっても、生活共同体=ファミリーなのかもしれない。
かくして、いつのまにか複数の娘たちと後ろから前から、上から下へのベッドインを体験した吾人も居ることであろう? 自分の意志を貫くために、周囲を巻込(利用)絵を描く人は、老弱男女国籍に関係なくどこにでも居るものだ。

フィリピンに毎月行くなら「ホテルを使うより、9000ペソの安アパートを借りた方が、どうせ女を囲うなら経済的だ」と言う人が居た。
実際にそんなことをマニラで行えば、日本に帰国して行ったときには、田舎から働きにきた『親戚娘の寄宿舎』と変貌していることだろう?
それを「ハーレム」と呼ぶのはその人の勝手であるが、私としては現実的にも経済的にもややこしい事態が発生することが、既に観えている話に同調するわけにはいかないのである。
「出て行け」とか「出て行かさないと経済的支援を打ち切る」と言えばいいだろう?の対処法はあるとおもうが、不必要に遺恨を発生させることもなく、予想される煩わしさには最初から『NO!』で望めばいいことでは無いか。
不愉快を招来してまで『ひとつ屋根の下』を手に入れるよりは、ひとつホテルのベッドで出会った娘たちと逢う方が、少々費用が嵩んだとしても精神的にも危険回避的にも由なのである。
「だからフィリピーナは、どうしようもないんだ。」ですか?
そうそう友人が、美形のフィリピン人女性とスポンサーと連れ立ってる場面に、日本国内で遭遇したそうである。
男性は彼女を「アサワ」と呼び「退職したら買った私のラグナの家で生活する」んだと、話していたそうである。
男性がトイレに立った合間に、フィリピン人女性に「彼と結婚しているのか?」と聞いたところ「いいえ」なのである。
『私のラグナの家』も、きっと『彼が出した金で買った彼女の家』というのが正しいのだろう? 誰の家かは、登記者が誰かを見れば判ることである。
こんな日本国内での当然の常識や「語句の定義」が、「分別在る年齢の男性」からも出て来ないのである。
そして、この吾人のもつカッコ付き「フィリピン的常識」が、とんでもない事態を招くこともあるものである。
もっともフィリピンでも結婚していない同士は「アサワ」でもなく、登記名義人でもない人が、その家の所有者であるはずも無いのであるが、何故か日本社会でも、自由主義社会でも通用しない、特別な日本男性の考える「フィリピンとの国際法規と常識」が存在するようである。

○100発120中の最終兵器の話は、動画を整理してまた後日。ごめんね。
○4月から75歳になっても年金から保険料のが多額にとられる『後期高齢者医療制度』が始まります。年金がない人も当然納めないといけないわけです。
この制度あまり皆知らないのです。小泉政権に衆議院議員議席300献上してから、「あれよあれよ」と強行採決した自民・公明政権のお土産です。
国保滞納者には、医療費全額負担。老人が死んでいきます。
道路特定財源の維持を訴える全国知事会。
造った道路で救急車も走るのでしょうが、「医療費が払えずに死んでいった老人たちが霊柩車で運ばれる」というのでは、笑い話にもならないでしょう。
現状の予算から真剣に無駄をなくさないで、何が増税だ!です。
年金さえ払っていれば老後は安心と思っていたら、後だしで制度が役人の数を増やして悪くなっていきます。


ビデオクリップの説明は、最後に
日本の大都市圏でフィリピンの不動産屋と観光省が、退職期の団塊の世代を対象に移住住居の販売のキャンペーンを行なっているようであります。
共催なのか?フィリピン観光省主催なのか?
不動産屋さんが主催で、観光省が冠として使われているのか判りませんが、この説明会には、フィリピン観光省と日本人が参画する不動産企業が同席しているのだそうです。
他人の商売に水をかける気など更々ありませんから、安価で良い物件を日本人で希望する人が手に入れることができればいいことです。
この説明会には、フィリピンを被写体とした写真家が「棚田はきれいですよ」とか「物価は安い」とか、フィリピンに移り住むことの魅力と経済性を滔々と語っていたといいますから「嗚呼、あの写真家。こんなことをなさってるんだ。」と感心していました。
以前も書きましたが、『フィリピンでは外国人が土地を自分名義で取得することは、永住ビザを持っていたとしても出来ません。』
出来るとすれば『会社名義での取得』となります。その会社=法人登録は外国人2:フィリピン人3という比率での役員登記がされていなければなりません。
ここで売られていたのはスービックで1500万円。

画像をタッチして不動産屋さんのHPに行ってみてください。
フィリピン不動産物件の標準的価格や建築物の相関が窺えます。
「フィリピンは日本から4時間で近い」と謳われていたそうですが、スービックならマニラからさらに2時間。セブでもそれ以上の時間を要することになりますから「日本から4時間」は、ちょっと誇大広告かな?です。
まして棚田だ!海だ!と言っても、ノースルソンやミンダナオを例に出して奇麗だと語られても、埼玉の家を売って「知床は奇麗だ」「石垣島は………」のような印象を持ったものです。
私個人としては、北海道と沖縄に家を持って季節に応じて飛ぶとして………千歳〜沖縄直行便というのも冬期間だけあるんですよ。しかも片道20000円でバーゲンOKでしょう?

不動産は「日本では1500万円では、土地付き住宅は手に入らないでしょう」と言ったところでしょうが、北海道の凍結深度まで掘り下げた基礎工事や二重窓、高断熱高機密住宅をもっても、1500万円で土地付き住宅の取得は可能です。一枚窓で断熱も凍上も考えなくていい関東以南の住宅では、家自体はさらに安くなります。
かくして沖縄でも九州でも、四国でも、大阪堺でも、1500万円で土地付き新築住宅物件はあるわけです。
もう一つはフィリピンの建築物物件の場合は、軸基礎コンクリート柱にブロック積みモルタル化粧作りの建物が多いわけで、構造的にも対費用効果で日本と同じレベルのものを期待できないわけです。
まぁ〜 後になって『騙した』『騙された』と言います前に、不動産屋さん初め売り手ガイドをともなわない、『フィリピン短期ステイ』をご自身で体験して、物価や生活の快適性を確かめてみた後でも、遅くないというものではないでしょうか?
言葉で心配があれば、日本語で用事の足りる『ネモトトラベル』や『ディスカバリーツアー社』に頼んで、炊事のできる長期滞在コンドミニアムを紹介していただいて、数ヶ月滞在してみるといいですね。
カビテの500ペソのストリートガールの下調べをするうちに、フィリピン不動産会社のHPに出くわしました。居住計画地点と物件と価格。大雑把な目安と参考にされてはいかがでしょうか?
というわけで最初に触れたムービーです。
FHMモデルのMichaela Espinosaさんです。
「FHMって何かに似てる?」 何かの方がFHMに似てるだけです。まあこのへんの話は明日また。
【動画】FHM Michaela Espinosa
FHMの写真と記事は私のお気に入り。FHMは、フィリピンの書店・コンビニで購入できます。CMでした。

『母と息子』の母子家庭。周囲からすれば溺愛や甘えでも、本人達はそう思っていません。それが彼女たちの極普通の親子関係なのです。
女はフィリピン人。息子を母国フィリピンの母親にあずけ、日本に出稼ぎにやって来ました。
そんな彼女の前に、一人の男が客として現れます。
二人は恋?し愛が芽生えた。そして結婚。しかし、子供がいることを男へ告げることは無かったと言います。
実際のところは判りません。
その女性の美貌?と妖婉さ?に惑わされ、話もほとんど耳にしていなかったのかも知れません。言い出す機会を逸した言葉の次のきっかけは、前回よりもハードルは高いものです。
まぁ〜 実際にそれほど魅力的なフィリピン女性と知り合えたなら何よりです。
そんな話があったのか?無かったのか?は、たいした問題ではないわけです。それより女性と懇ろになって、裸で向かい合うほどの関係を経ても、経産婦の判断を狂わすほど、言うが侭の夢中になっていた。と仮定することにしましょう。

フィリピン人女性に限らず異国の地に働きに出るのには、大きな飛躍と決意が必要なことでしょう。
日本には「タレント」などと呼ばれ、歌手やダンサーの興行者として来日していました。
日本での仕事は「歌手」や「踊り子」の芸をするお仕事で、多少の「資格外就労」酌婦の仕事と理解していたのかもしれませんね。
韓国や香港その他のアジア圏でも、フィリピン人女性は興行者やメイドという仕事に着いています。韓国では飲み屋にVIPルームでの性的サービスを求められることがあります。
もちろん嫌なら断ることも出来ます。売春条件で他国に働きにきたわけではないのですから、性的サービスの拒否はできるわけです。
余程、歌や踊りが上手でも客からのチップ額は、売春をする同僚と雲泥の差。メイドでも、家事+夜のお相手が暗黙の了解。お断りすれば難癖つけて契約解除と帰国が待っています。
日本ではどうかと言うと、4〜6人のタコ部屋を出て、科されたノルマとペナルティーをこなし免れるため『同伴』で××、そのまま男と店に出勤します。
常識的に世界の酌婦の仕事は売春です。それがダイレクトかオブラートに包まれているかだけです。日本では売春禁止法以降「美人局接客」のオブラート型だと言う人も居ます。
彼女たちは、体を張っても経済的収入を確保する目的で日本にやって来ました。そしてその決意で働く彼女の前に、一人の男が客として現れました。
他の客同様この男も女性と仲良くなろうと、食事に誘ったり、貢ぎ物をしたり「結婚しよう」などと、モノ・カネで攻勢をかけます。
以前書いた通り、『女性の経済的自立』を抜きにした結婚とは、性を含む家事と経済的保証の交換契約ですから、売春とそう大差はありません。
結婚して日本国籍を得て公然就労できることも、一人の男と暮らすことで占有化され、家庭に入ることで受け取れなくなった分に見合う『フィリピンの家族への送金』も、同じことです。
そして彼女の関わりは別として、時を経てフィリピンからは経済的困窮の連絡と借財のむしんが届きます。
「お母さんが病気でお金に困っている。」
「兄弟が学費が払えないで、修業を継続できない。」
「親戚が大けがをしたがお金がない。手術しないと死んでしまう」
私は、このような話のすべてが嘘と作り話とは思ってはいないのです。
端緒は、切迫した状況から始まったと思っています。また、自分でなくとも誰かが同じ経験をしたことで、亭主や彼が工面してくることを知っています。一度経験したことは『お金で困ったときの対処法』として記憶されて行きます。
お金に困ったときには、子供でもウソをつくものです。
「お母さん!学校で使っている絵の具がなくなっちゃった。買うからお金ちょうだい!」日本での光景です。
「俺にはもう金が無い」と言えばいいことです。
「あなた私の家族を愛してないのね」と言われようが「薄情」と言われようが「できない」と言えばいいことです。
ところがそのことは、自分自身が口にして来た「俺は月収100万円だ」の話も「財産が1億円ある」の話も嘘であったことを証明することになります。
男としての虚構のメッキの剥げる瞬間です。
「へへ!嘘だピョ〜ン」と言って、別れを告げるもよし、ブランドものの空財布を、新聞紙で膨らましていたトリックを曝すでもよし、まぁ〜心穏やかなことではないでしょう。文章ほどには簡単なことではないでしょうが、金の切れ目が縁の切れ目と、離別を覚悟すればすむことです。
それが最後の最後まで、高利の借金までして金を工面する人もいるものです。背景は見栄。そして『してやってる』と思うことで人間性を取り戻していると思う『ボク良い人シンドローム』『ボク頼りにされてるよシンドローム』
そのぐらい社会生活から乖離したとこに、自分が居るということを認めたくないがための、「ありがとう」を言われるための感謝誘発的自己納得行動。
嘘と『良い振りコキ』から始まった自分の仮象は、実像をあからさまにしてしまうか? それともそのまま虚構を続けるかしか、選択肢がありませんでした。本当の自分を曝すことは『自分としても本当の自分を観ること』
男にとっては、最大級の屈辱と嫌なことだったのでありましょう。

その虚構を保つことでかろうじて、自分の立脚点があった。日本の社会生活と遊離した自分にとって、そこにしか日本人としても注目を浴びる場所がなかったわけです。
普段の社会生活の中での自分自身からかけ離れて、夜、闇の中にネオン輝くフィリピンパブのドアを開けた時に、はじめて社会的に通用する自分が現れます。
普段の社会生活の中に自分の存在はなく、フィリピンパブと『フィリピン』キーワードの世界にしか、自分の存在が確認できない人も居るものです。もちろんアジアンモモンガみたいな多国籍で同様な吾人も居ます。特徴はその人が見下した国や人種の中でしか、自分の存在を見いだせないことです。
金策に詰まった男に、二人の間に生まれた子供さえが「パパのケチ」と吹き込まれ投げ台詞。フィリピン人の母親同盟軍に参加します。子供はえてして母軍の指揮下に入るものです。生んで守ってくれた最も近い信頼のおける指揮官です。
蓄財も底が見え日本に居づらくなって、男は考えます。掻き集めれるだけの金を手にして「フィリピンに移り住もうか」と。
幼子故に『日本がいい』の反乱にあうことも無く、彼女の故郷やマニラ、セブ等大都市に『嫁の名義』で土地を購入し家を建てます。
そんなわけで彼女の日本に来た動機や決意から、それ以降の経済的むしんと男の経て来た経過に触れました。
移住したフィリピンでは、別なフィリピン人との間に生まれた男の子が居ることを知らされます。
これは隠されていない場合でも、既に『連れ子が居る』と知って居ても同じことです。そして母と子の関係が『溺愛』でなくても同じことなのです。ようは彼女の連れ子が男の子だということが、重要な要素なのです。
彼と会う以前から、彼女と息子は同じ血肉分けた親子です。
在る意味では、『この子を守り育てるために他国へ働きに行った』とも言えます。
胎児がお腹に居るときから、外国に働きに出る日まで一緒に暮らし、自分の食べ物を減らしてまでも子に与え育てて来た。母には、その子の中に自分と『自分に最も似た、将来の賢くて強く優しい男』が観えていたことでしょう。
新しい男である日本人と結婚してもなお、自分の息子を『兄弟』として伝えたり、『姉さんの子供』ということになっている場合もあるものです。
現地の夫が、『兄妹』という触れ込みの場合もあるものです。
いずれにしても連れ子が居ることを知った時から、夫たる日本人は家族の絆や親子関係を深めることに努力するでしょう。
男として逞しく強く賢く、考え方や生き方を、自分流の男教育が始まります。それが本当の父親へ近づくことと信じて、叱り諭すこともあるわけです。
しかし残念ながら母親には、夫流の男教育は『今いる息子の至らなさであり、問題視である』と映り、自分や自分の家族へむけられた指摘と聞こえて来ます。子供への批判や意見は、自分への批判であり至らなさの意見なのです。
これはフィリピンに限らず日本でも同じな訳です。
女の連れ子を自分の息子と思えばこそ、自分流の男像に近づける関わりを強めます。
女の心の中では家族であっても、夫は他人。息子や親兄妹は血の通った肉親です。
女や親が余程人間的に出来ていないと、そして男自信も人間的に成長していないと、真剣に躾けようとすればするほど、夫婦の間に風が吹き、冷たい家族関係が生まれて行きます。
いつの日か、夫たる男の息子や親への指摘はタブーとなり、家庭の中で触れてはいけない話題と領域が生まれます。

恋人の連れ子を結婚するまえに、関係も深めておこうと模擬父親行動をとっても同じことがおこります。結婚どころか彼女と別れるケースもあります。
それほど連れ子をめぐる、新しい父親と家族の関わりは難しいものです。
当たり前のことですが連れ子にとっても、この母の新しい男は『血族』でもなければ『父』でもないわけで、単なる財産の所有権や分与相続の金銭的つながりを約束した『公証人のつくった書類上の関係』でしか存在していません。
連れ子が女の子だとこちらの方は、可愛く賢くなつっこければ、新しい父親は目に入れても痛くないくらいの関係も築けるものです。見ただけも嫌いなら、相手にしないだけのことでしょう。いつか別の男のもとへ行く。その程度の関わりです。
男同士の義理の息子と亭主。嫁の母国で親族に囲まれながら家庭の『家長』としての自分の位置を確認し始めます。
同じオスとして対峙する。なにか動物的なものも作用しているのかも知れませんね。
義理の息子が反目していく時、『家長』としての男はその原因が『女や女の親族が、自分の存在を軽視しいているところにある』と考えました。
「何故軽視されたのか?」
それにしても何故女の母国へ移住することを決めるに至ったのか?
その女を自分が選んだのか?の疑問は残ります。
まぁ〜冷静に考えていたら、結婚なんか出来ないものです。
ノリと言うか?弾みと言うか?そんな勢いが無いと結婚は存在しないということでしょうか?
女系色の強いフィリピンで、女の親族の中で『亭主』だけは他国の他民族の他人であって、『お金持ちの日本人』の後光が薄らいで来るまでに、カネに換わる信頼や尊敬に値するものや関係が築かれなければならないのでしょう。
「何も嫁の国に行ってまで、親族に囲まれながら暮らすことはない」という声もあります。
まぁ〜 過去は過去として、定職もない日本人男性でも鬱陶しくなく居てくれて、気軽に水運びや家事を手伝うのなら、飯と寝場所ぐらい与えてくれますって………。
そこで『威張』ったり「別に女をつくってみなさいよ」
『カネの御威光も消えた』『言葉も幼児程度しかできない』の外国人が、女を便利な『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』として勝手に考えていても、自分勝手な妄想と現実のひずみが生まれるものです。
海外移住生活を夢見ていても、それが女の母国や親戚に囲まれたところである必要はないわけです。フィリピンでなくても海に囲まれた奇麗な南国の島は、ほかにたくさんあります。
『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』を女に求めたあたりに、『自分とは何か?』を気づかれるのもいい機会ではないでしょうか?
「フィリピンは………」いいえ日本でも同じですよ!

女はフィリピン人。息子を母国フィリピンの母親にあずけ、日本に出稼ぎにやって来ました。
そんな彼女の前に、一人の男が客として現れます。
二人は恋?し愛が芽生えた。そして結婚。しかし、子供がいることを男へ告げることは無かったと言います。
実際のところは判りません。
その女性の美貌?と妖婉さ?に惑わされ、話もほとんど耳にしていなかったのかも知れません。言い出す機会を逸した言葉の次のきっかけは、前回よりもハードルは高いものです。
まぁ〜 実際にそれほど魅力的なフィリピン女性と知り合えたなら何よりです。
そんな話があったのか?無かったのか?は、たいした問題ではないわけです。それより女性と懇ろになって、裸で向かい合うほどの関係を経ても、経産婦の判断を狂わすほど、言うが侭の夢中になっていた。と仮定することにしましょう。

フィリピン人女性に限らず異国の地に働きに出るのには、大きな飛躍と決意が必要なことでしょう。
日本には「タレント」などと呼ばれ、歌手やダンサーの興行者として来日していました。
日本での仕事は「歌手」や「踊り子」の芸をするお仕事で、多少の「資格外就労」酌婦の仕事と理解していたのかもしれませんね。
韓国や香港その他のアジア圏でも、フィリピン人女性は興行者やメイドという仕事に着いています。韓国では飲み屋にVIPルームでの性的サービスを求められることがあります。
もちろん嫌なら断ることも出来ます。売春条件で他国に働きにきたわけではないのですから、性的サービスの拒否はできるわけです。
余程、歌や踊りが上手でも客からのチップ額は、売春をする同僚と雲泥の差。メイドでも、家事+夜のお相手が暗黙の了解。お断りすれば難癖つけて契約解除と帰国が待っています。
日本ではどうかと言うと、4〜6人のタコ部屋を出て、科されたノルマとペナルティーをこなし免れるため『同伴』で××、そのまま男と店に出勤します。
常識的に世界の酌婦の仕事は売春です。それがダイレクトかオブラートに包まれているかだけです。日本では売春禁止法以降「美人局接客」のオブラート型だと言う人も居ます。
彼女たちは、体を張っても経済的収入を確保する目的で日本にやって来ました。そしてその決意で働く彼女の前に、一人の男が客として現れました。
他の客同様この男も女性と仲良くなろうと、食事に誘ったり、貢ぎ物をしたり「結婚しよう」などと、モノ・カネで攻勢をかけます。
以前書いた通り、『女性の経済的自立』を抜きにした結婚とは、性を含む家事と経済的保証の交換契約ですから、売春とそう大差はありません。
結婚して日本国籍を得て公然就労できることも、一人の男と暮らすことで占有化され、家庭に入ることで受け取れなくなった分に見合う『フィリピンの家族への送金』も、同じことです。
そして彼女の関わりは別として、時を経てフィリピンからは経済的困窮の連絡と借財のむしんが届きます。
「お母さんが病気でお金に困っている。」
「兄弟が学費が払えないで、修業を継続できない。」
「親戚が大けがをしたがお金がない。手術しないと死んでしまう」
私は、このような話のすべてが嘘と作り話とは思ってはいないのです。
端緒は、切迫した状況から始まったと思っています。また、自分でなくとも誰かが同じ経験をしたことで、亭主や彼が工面してくることを知っています。一度経験したことは『お金で困ったときの対処法』として記憶されて行きます。
お金に困ったときには、子供でもウソをつくものです。
「お母さん!学校で使っている絵の具がなくなっちゃった。買うからお金ちょうだい!」日本での光景です。
「俺にはもう金が無い」と言えばいいことです。
「あなた私の家族を愛してないのね」と言われようが「薄情」と言われようが「できない」と言えばいいことです。
ところがそのことは、自分自身が口にして来た「俺は月収100万円だ」の話も「財産が1億円ある」の話も嘘であったことを証明することになります。
男としての虚構のメッキの剥げる瞬間です。
「へへ!嘘だピョ〜ン」と言って、別れを告げるもよし、ブランドものの空財布を、新聞紙で膨らましていたトリックを曝すでもよし、まぁ〜心穏やかなことではないでしょう。文章ほどには簡単なことではないでしょうが、金の切れ目が縁の切れ目と、離別を覚悟すればすむことです。
それが最後の最後まで、高利の借金までして金を工面する人もいるものです。背景は見栄。そして『してやってる』と思うことで人間性を取り戻していると思う『ボク良い人シンドローム』『ボク頼りにされてるよシンドローム』
そのぐらい社会生活から乖離したとこに、自分が居るということを認めたくないがための、「ありがとう」を言われるための感謝誘発的自己納得行動。
嘘と『良い振りコキ』から始まった自分の仮象は、実像をあからさまにしてしまうか? それともそのまま虚構を続けるかしか、選択肢がありませんでした。本当の自分を曝すことは『自分としても本当の自分を観ること』
男にとっては、最大級の屈辱と嫌なことだったのでありましょう。

その虚構を保つことでかろうじて、自分の立脚点があった。日本の社会生活と遊離した自分にとって、そこにしか日本人としても注目を浴びる場所がなかったわけです。
普段の社会生活の中での自分自身からかけ離れて、夜、闇の中にネオン輝くフィリピンパブのドアを開けた時に、はじめて社会的に通用する自分が現れます。
普段の社会生活の中に自分の存在はなく、フィリピンパブと『フィリピン』キーワードの世界にしか、自分の存在が確認できない人も居るものです。もちろんアジアンモモンガみたいな多国籍で同様な吾人も居ます。特徴はその人が見下した国や人種の中でしか、自分の存在を見いだせないことです。
金策に詰まった男に、二人の間に生まれた子供さえが「パパのケチ」と吹き込まれ投げ台詞。フィリピン人の母親同盟軍に参加します。子供はえてして母軍の指揮下に入るものです。生んで守ってくれた最も近い信頼のおける指揮官です。
蓄財も底が見え日本に居づらくなって、男は考えます。掻き集めれるだけの金を手にして「フィリピンに移り住もうか」と。
幼子故に『日本がいい』の反乱にあうことも無く、彼女の故郷やマニラ、セブ等大都市に『嫁の名義』で土地を購入し家を建てます。
そんなわけで彼女の日本に来た動機や決意から、それ以降の経済的むしんと男の経て来た経過に触れました。
移住したフィリピンでは、別なフィリピン人との間に生まれた男の子が居ることを知らされます。
これは隠されていない場合でも、既に『連れ子が居る』と知って居ても同じことです。そして母と子の関係が『溺愛』でなくても同じことなのです。ようは彼女の連れ子が男の子だということが、重要な要素なのです。
彼と会う以前から、彼女と息子は同じ血肉分けた親子です。
在る意味では、『この子を守り育てるために他国へ働きに行った』とも言えます。
胎児がお腹に居るときから、外国に働きに出る日まで一緒に暮らし、自分の食べ物を減らしてまでも子に与え育てて来た。母には、その子の中に自分と『自分に最も似た、将来の賢くて強く優しい男』が観えていたことでしょう。
新しい男である日本人と結婚してもなお、自分の息子を『兄弟』として伝えたり、『姉さんの子供』ということになっている場合もあるものです。
現地の夫が、『兄妹』という触れ込みの場合もあるものです。
いずれにしても連れ子が居ることを知った時から、夫たる日本人は家族の絆や親子関係を深めることに努力するでしょう。
男として逞しく強く賢く、考え方や生き方を、自分流の男教育が始まります。それが本当の父親へ近づくことと信じて、叱り諭すこともあるわけです。
しかし残念ながら母親には、夫流の男教育は『今いる息子の至らなさであり、問題視である』と映り、自分や自分の家族へむけられた指摘と聞こえて来ます。子供への批判や意見は、自分への批判であり至らなさの意見なのです。
これはフィリピンに限らず日本でも同じな訳です。
女の連れ子を自分の息子と思えばこそ、自分流の男像に近づける関わりを強めます。
女の心の中では家族であっても、夫は他人。息子や親兄妹は血の通った肉親です。
女や親が余程人間的に出来ていないと、そして男自信も人間的に成長していないと、真剣に躾けようとすればするほど、夫婦の間に風が吹き、冷たい家族関係が生まれて行きます。
いつの日か、夫たる男の息子や親への指摘はタブーとなり、家庭の中で触れてはいけない話題と領域が生まれます。

恋人の連れ子を結婚するまえに、関係も深めておこうと模擬父親行動をとっても同じことがおこります。結婚どころか彼女と別れるケースもあります。
それほど連れ子をめぐる、新しい父親と家族の関わりは難しいものです。
当たり前のことですが連れ子にとっても、この母の新しい男は『血族』でもなければ『父』でもないわけで、単なる財産の所有権や分与相続の金銭的つながりを約束した『公証人のつくった書類上の関係』でしか存在していません。
連れ子が女の子だとこちらの方は、可愛く賢くなつっこければ、新しい父親は目に入れても痛くないくらいの関係も築けるものです。見ただけも嫌いなら、相手にしないだけのことでしょう。いつか別の男のもとへ行く。その程度の関わりです。
男同士の義理の息子と亭主。嫁の母国で親族に囲まれながら家庭の『家長』としての自分の位置を確認し始めます。
同じオスとして対峙する。なにか動物的なものも作用しているのかも知れませんね。
義理の息子が反目していく時、『家長』としての男はその原因が『女や女の親族が、自分の存在を軽視しいているところにある』と考えました。
「何故軽視されたのか?」
それにしても何故女の母国へ移住することを決めるに至ったのか?
その女を自分が選んだのか?の疑問は残ります。
まぁ〜冷静に考えていたら、結婚なんか出来ないものです。
ノリと言うか?弾みと言うか?そんな勢いが無いと結婚は存在しないということでしょうか?
女系色の強いフィリピンで、女の親族の中で『亭主』だけは他国の他民族の他人であって、『お金持ちの日本人』の後光が薄らいで来るまでに、カネに換わる信頼や尊敬に値するものや関係が築かれなければならないのでしょう。
「何も嫁の国に行ってまで、親族に囲まれながら暮らすことはない」という声もあります。
まぁ〜 過去は過去として、定職もない日本人男性でも鬱陶しくなく居てくれて、気軽に水運びや家事を手伝うのなら、飯と寝場所ぐらい与えてくれますって………。
そこで『威張』ったり「別に女をつくってみなさいよ」
『カネの御威光も消えた』『言葉も幼児程度しかできない』の外国人が、女を便利な『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』として勝手に考えていても、自分勝手な妄想と現実のひずみが生まれるものです。
海外移住生活を夢見ていても、それが女の母国や親戚に囲まれたところである必要はないわけです。フィリピンでなくても海に囲まれた奇麗な南国の島は、ほかにたくさんあります。
『通訳代わり兼、性的サービス付き介護者』を女に求めたあたりに、『自分とは何か?』を気づかれるのもいい機会ではないでしょうか?
「フィリピンは………」いいえ日本でも同じですよ!









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